みなさん
こんにちは。マエ☆コウです。
2016年10月18日
沖縄県ゆいレールおもろまち駅にある沖縄県立博物館を訪れました。
この博物館では
沖縄県の歴史を存分に楽しむことができます。
博物館として展示物などはごくごく一般的ですが
沖縄県という特異な島の歴史を体系的に学ぶにはもってこいの施設。
沖縄県立博物館をマエ☆コウが訪れて
学んだことをツイッターにまとめて置いたので
それを今回はご紹介します。
- 江戸時代。沖縄県から江戸まで訪れるのに半年近くかかっていた!
- 琉球王国の身分制度は、はちまきの色で決まっていた
- 琉球王国の基幹産業はやっぱり貿易と製糖業!
- アヘン戦争の影響で新たな時代へ行く琉球王国
- 砂糖の市場価格暴落で経済危機が沖縄県に!
- 終わりに
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江戸時代。沖縄県から江戸まで訪れるのに半年近くかかっていた!
1832年(天保3年)琉球使節団が江戸に行くまで片道5ヶ月。鹿児島まで1.5ヶ月。 pic.twitter.com/7VsffppvbO
— マエコウ@読書のつぶやき (@maeko_engine) 2016年10月18日
いや〜船があるとは言え、やっぱり長時間かかるんですね。
しかも半年も。
東京から沖縄県まで格安航空ジェットスターで3時間。
テクノロジーがどれほど進化したのかが身にしみます。
15から16世紀、明との対明朝貢回数が最も多いのは琉球の171回 pic.twitter.com/VTwBRTTrLa
— マエコウ@読書のつぶやき (@maeko_engine) 2016年10月18日
15世紀から16世紀にかけて中国では明朝が栄えていました。
そんな明朝に対して琉球王国が進貢を行っていました。
進貢についてはこちらを参照。
明への進貢回数はなんと当時では最大の171回!
琉球王国が貿易で飯を食っていたことがちらって見えてきますね。
琉球王国の身分制度は、はちまきの色で決まっていた
1689年の系図座設置をきっかけに士族と百姓の差が歴然となるだけでなく、士族の中でもカンザシの材質や模様で位階の差が出ていたよう。
— マエコウ@読書のつぶやき (@maeko_engine) 2016年10月18日
ちなみに、トップが赤字五色浮き織り冠という冠。 pic.twitter.com/HkwAdAc8Jm
これは面白い話ですね。
系図座というものを設置した後に士族と百姓に位階が分断したけれども
氏族に対しても地位を分解していたようです。
画像は最も高い地位の王子がつける赤色の冠=はちまき!
手造でしょうか?
首里政府は系図座によって士族と百姓で位階を分けたけれども、農村行政も管理しやすいように百姓にも役職を与えた。
— マエコウ@読書のつぶやき (@maeko_engine) 2016年10月18日
人口や領域が狭かったからできたのかな? pic.twitter.com/MgIvKHZZKt
こうして位階制度ができたとき、大抵の国って百姓などの地位や身分の低いものの扱いがひどいのですが
琉球王国では百姓に対しても役職を与えていました。
これで百姓から確実に納税できる仕組み化に成功って言ったところでしょうか。
琉球王国の基幹産業はやっぱり貿易と製糖業!
経済面で特に貿易では中国向けに日本産の鈴、銅、昆布を転売。
— マエコウ@読書のつぶやき (@maeko_engine) 2016年10月18日
また、砂糖の専売制も実施。中国からサーターグルマという圧縮機を導入。
19世紀には製糖工場ができて姿を消す。 pic.twitter.com/mbxC5NaQ8c
外様との関係で言えば、中国への転売がカギ。
その一方で、国内では、ちゃくちゃくと砂糖の製造技術が進化していってました。
特に中国から導入したサーターグルマは革新的なアイテムだったことが伺えますね。
アヘン戦争の影響で新たな時代へ行く琉球王国
しかし、19世紀なると災害や飢饉がつもり経済が苦しくなる。そんな中アヘン戦争で清が敗北して異国船の訪れが増加。そして新たな時代へ! pic.twitter.com/8LRXouU7FG
— マエコウ@読書のつぶやき (@maeko_engine) 2016年10月18日
中国との関係が重要な琉球王国にとって
アヘン戦争での中国清の敗北は想定外だったのでしょうか。
これにより、いままでにない西欧という新しい風が琉球王国に入ってきます。
1879年春。明治政府が南の国境線確定のため琉球王国廃止して琉球藩(沖縄県)に改める。琉球王国は反対も明治政府の軍隊と警察官が送られ、最終的には首里城を最後の国王尚泰王は明け渡す。
— マエコウ@読書のつぶやき (@maeko_engine) 2016年10月18日
沖縄県こと琉球王国の繁栄も終わりです。
日本史を全く知らなかったマエ☆コウからすると
琉球王国に明治政府が軍隊を送っていたとは・・・・。
国境は広いほうが良いですから
当時の明治政府の都合がかなり働いてる可能性が高いです。
砂糖の市場価格暴落で経済危機が沖縄県に!
沖縄の基幹産業である糖業はWW1以降その市場を独占して、価格が通常の3〜4倍で推移。しかし、大戦後のヨーロッパ経済が回復したのきっかけに過剰生産から砂糖価格が暴落。いわゆる、ソテツ地獄。 pic.twitter.com/FuYGaU1l56
— マエコウ@読書のつぶやき (@maeko_engine) 2016年10月18日
この博物館で最も面白かったのがソテツ地獄。
ソテツ地獄ってなんじゃい!って感じ。
要は、砂糖価格の暴落で沖縄県で経済危機が起きてしまったことを指しています。
16世紀から続いていた基幹産業として製糖業についに陰りが見え始めます。
もともと、製糖業は市場価格が安定していなかったようですが。
ここまで暴落してしまうと経済的には大打撃ですな。
終わりに
沖縄旅行を通じて博物館の楽しみ方
そして
ブログとTwitterの効果的な使用法を学ぶことができました。
沖縄県立博物館には大感謝です。
ちなみに、観光きっかけでこの本を買いました。
以上
マエ☆コウでした。
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